イタリア北部、アゾロ村で創業。アゾロ地方の伝統工芸である皮革加工職人が集まった。
現在の経営者に繋がるルイージ、フランチェスコ、アントニオのパリゾット兄弟が事業を継承。多額の借金を抱えながらもイタリアンドリームを信じていた。
品質の高さから、イタリアの登山靴市場で大きなシェアを得ると同時に海外へも進出。ラインナップはテレマークブーツにも拡大し、40モデルにも及んだ。
世界的な登山隆盛期は、スカルパにとっても黄金期だった。新たに日本へも進出。最初期のクライミングシューズの生産が始まる。またこの頃、高品質な高所登山靴の開発が始まる。テニスラケットのガットに使用されていたペバックスを採用し、現在のベガへと連なるモデル、グリンタを生み出した。
さらに規模を拡大し、高所登山からアウトドア、クライミング、山岳スキーまでラインナップを拡げた。また新素材や製造技術の研究開発も進み、ゴアテックス®採用のコーデュラ®/スエード製ブーツの普及が進んだ。
イェジ・ククチカが、ラインホルト・メスナーに遅れること3ヶ月で、史上2人目の8,000メートル峰14座登頂(うち4座は冬期)を達成した。彼の足下を支えたのがベガであった。 ベガは世界の一流登山家に愛用された。
ロングセラートレッキングブーツ、ラダックが成功を収めた。 マーケティング部門への投資が拡大し、カタログ、パッケージング、POP、No Place Too Farといった標語によってブランドイメージの向上、統一を図った。スカルパの広告戦略はビジネスコミュニケーションの書籍や論文にも取り上げられている。
オフロードバイクのサスペンションカバーの蛇腹をヒントに世界初のプラスチック製テレマークブーツ・ターミネーターが誕生した。これにより、スカルパはテレマーク/山岳スキーレース部門を席巻することになる。
スカルパのスイスディストリビューターで登山家のロマロ・ノタリスの献身的な協力により、1993年に山岳スキーブーツ、デナリを開発し、大成功を収めた。
新社屋が完成し、従来の2,500平方メートルから現在は6,000平方メートルまで拡張されている。1997年には敷地内に2,500平方メートルの製造部門がオープン。続いて3,500平方メートルにマルチメディアミーティング部門、倉庫部門、製品仕上げ部門がオープンした。
アウトドア業界では絶え間なく企業買収が行われ、巨大な多国籍企業による国際競争時代が始まった。スカルパは厳格な品質水準を満たすために、生産の80%をイタリア国内で行っている。165人の従業員、100人の協力企業従業員、145のモデル、32のプラスチックブーツ(高所登山、アイスクライミング、山岳スキー、テレマーク等)を擁するまでになった。
コロラド州ボルダーにスカルパ・ノースアメリカを設立した。
クライミングシューズの研究開発に20年のキャリアを持つ伝説的クライマー、ハインツ・マリアッハが監修し、バラエティに富み、技術的な新機軸が盛り込まれている。パワー、プレシジョン、フィット感、耐久性等を高い水準で実現し、あらゆる技術、スタイル、傾斜、レベルに対応する。
1938年の創業から70周年を迎えた。