ヘイゼル・フィンドレイ メンタルトレーニングシリーズ:PART2ーフローの謎を解く

2017

ブラックダイヤモンドのグローバルアスリート、ヘイゼル・フィンドレイ。いま彼女は「フロー」の探求を進めている。フローとは、掴みどころがなく高いパフォーマンスを引き出してくれる何か。その探求の過程で、彼女はフローを実現する技術の専門家、キャメロン・ノーズワージーに出会った。
メンタルトレーニングシリーズ、連載2回目では、フローとは何か、そしてそれをクライミングでどうすれば利用できるのかを知るために、フィンドレイがノーズワージーにインタビューを行った。


フローについて今でも覚えているのは、2012年のヨセミテでの出来事です。午前2時。その時友人のジェームズ”カフ”マクハフィーと私は、エルキャピタンの取付にいました。『ミューアブラスト』に取りつこうとしていたのです。『ミューアブラスト』とは、ミューアウォールのフリーバリエーションルートである『プレミューア』の最初の12ピッチを指します。

私は緊張と不安を感じていました。それまでの数週間、私は不安に怯えながらぎこちなくクライミングしていたのです。これは、私がメンタルトレーニングについて考えるようになる前の出来事です。その当時、なぜ自分がこんな風に感じるのかを説明する術を持っていませんでした。ただそれを、残念な事実として受け止めるしかありませんでした。私はカフの方を向いて、ヘッドランプで彼の顔(見るからに自信に満ち満ちていた)を照らしながらこう言いました。

「カフ、私はフロー状態ではなくなってしまったわ」

「フロー状態なんてものはないよ、ヘイゼル」と、彼は呆れたようにカンブリア訛りで言いました。

しかし皮肉なことに、まさにこの日、今までで最も激しいフロー状態を経験したのです。このルートは、うっとりするような繊細な花崗岩クライミングそのものでした。奇妙なことにカエル達がクラックの横にへばりついていたので、暗闇の中で彼らをかわしながら登るのはなかなか面白いチャレンジでした。ヘッドランプの明かりを頼りに登ることに、全く不安はありませんでした。むしろそれによって、今クライミングをしているこの場所以外の世界が閉ざされたように思えました。

カフは既に数ピッチをリードしていたので、私に核心ピッチのリードを譲ってくれました。激しくテクニカルな5.13bのトラバースピッチです。フットホールドもハンドホールドもほとんどありません。手をルーフに突っ張り、足はスメアリング。そしてなんと私はこのピッチをフラッシュできたのです。カフは大変驚いていました(そしてうろたえていました)。でも、もしもこれを再登しろと言われたら?何とも言えませんが…たぶん二度と再登できないでしょう。これは、私の最高のトライだったのです。

このとき私は、考えることなくムーブを繰り出していました。無意識で登り、諸々のことは自動化されていたのです。時間がゆっくりになったように思えました。いやむしろ、速くなったのかもしれません。易しくも感じたし、同じくらい困難にも感じました。その後、私はスー・ジャクソンの著した『Flow in Sport(スポーツにおけるフロー)』を読んだのですが、彼によるフローの定義は、この私の体験にそのまま当てはまるものでした。

フローとは何か?

私は考えすぎてしまいます。何に対しても。そしてクライミングのことを考えすぎて、ついにはクライマー向けのメンタルトレーニングを探求する道へと足を踏み入れたのです。こうして、フローの専門家であるキャメロン・ノーズワージーに出会いました。どのようにフロー状態に入るのか教えを請うため、私たちは何回もスカイプでチャットしました。そしてこの夏の終わりに、初めて直接顔を合わせました。私と友人と一緒にボルダリングをしに来てくれたのです。彼とどうやって知り合ったのかとか、彼の職業が何なのかを友人に説明するのに苦労しました。

「待って、あなたはフローの見つけ方を教えて生計を立ててるの?で、フローって何?」

キャメロンは、フローの研究で博士号を取得しようとしているところです。これまで、およそ20種類のスポーツで、9歳の子供から世界チャンピオンにいたるまで様々な人々に対して、フローについてのコーチングをしてきました。彼の顧客の多くが冒険的スポーツのアスリート達でした。彼の教えの中でも特に興味深いのは、フローを追い求める経験それ自身が財産である、ということです。ルートを完登したりコンペで勝つことより素晴らしいものだ、と言うのです。

でも「完登したい」「勝ちたい」って思うでしょう?この後のインタビューでキャメロンが説明しているように、フローを追い求めることであなたは2度勝利するのです。フローを体験するだけでなく(これ自身がとても素晴らしい体験です)、(今は)2番目の目標である、ルートを完登したりコンペで勝てたりする可能性が上がるのです。そしてさらに、あなたはこれらの活動をより楽しんで行うことができるでしょう。

この記事は、フローについてさらに知るために行った「ミスター・フロー」ことキャメロンとのインタビューです。

Q&A

ヘイゼル
あなたとフローのこれまでについて教えてください。まず始まりは何だったのでしょうか?
キャメロン

私はジュニア時代にテニスをしていて、国際試合にも出るほどでした。私が初めてフローを経験した場所はテニスコートです。サイドラインに沿ってボールを打ち返したとき、全てがスローモーションになったのです。ボールが曲がりながら、ベースラインとサイドラインの間のコーナーぎりぎりの、ちょうど1平方インチのスペースに向かって行くのが見えました。私は、このショットを打ったのが本当に私なのかとやや驚きながら、そこに立ちつくしていました。

その後、不運なことに肘のケガが酷くなってしまいました。私はテニスをやめ、他の何かを求めてバックパックで旅行し始めました。ペルーでは、自分とは異なる類のフローを体験している人に遭遇しました。とある丘を登って、私は高山病で少し頭がクラクラしていました。息を切らしていたところに、道端で貧しい大道芸人が演奏しているのに気づいたのです。そして彼の演奏にすっかり心を奪われてしまいました。彼のハーモニカから流れる音色一つ一つにうっとりしました。彼はロイヤルアルバートホールやシドニーのオペラハウスで演奏しているかのような情熱をもって演奏していたのです。近くに寄って見てみると、彼が2本の棒きれを腕のように使ってハーモニカを吹いていることに気づきました。彼がフロー状態に入るために用いている創造性と革新性は、当時の私に深い感銘を与えました。

そのとき、フロー状態に入るのにテニスをする必要はない、ということに気づいたのです。この男性が、腕を使わずにただハーモニカを吹くことでフロー状態に入っていたのなら、私もできるはずです。私は興奮しました。この状態は一体何なのか?完全に自我を失って最高のパフォーマンスを出せるくらいのめり込んでしまうこの瞬間は、一体何なのか?私はスポーツ心理学の研究をし続けました。この現象が最もよく見られる分野だったからです。そして、パフォーマンス心理学に関する様々な文献を読み漁っていた時、ミハイ・チクセントミハイ氏が著書でそれを『フロー』と名付けているのを知りました。

ヘイゼル
あなたはフロー状態について学術的な研究を行ってきました。最も適切だと思うフローの定義はどのようなものですか?
キャメロン

フローについて誤った認識をもたれることもしばしばです。人によって異なる定義づけをしていますから。私が適切だと考えるフローの定義は、このようなものです。

「自分のスキルが挑戦していることにマッチし、行動と意識が融合し、自我が無くなって時間が歪んでぴたっと止まってしまうくらいその活動にのめり込んでしまうような、最も理想的に機能している心の状態」

ヘイゼル
学術的な定義は分かりました。読者にも分かりやすい例えを使って、それを説明して頂けますか?
キャメロン

フローは多くの人がよく知っている概念です。違う呼び方で耳にしたことがあるはずです。「ゾーンに入る」という言い方をする人もいれば、「スイートスポットに入る」と言う人もいます。戦闘機のパイロットはそれを「バブルに入る」と言うし、音楽家は「ポケットに入る」と言います。無意識の状態と呼ぶ人もいます。

しかしながら、自分の経験を振り返ると、何かをしているところから突然脱して、そのとき起こったことに驚いているような状態が、フローをよく表しているように思います。それから脱したとき、「待ってくれ、これが今起きたのか?」というような気持ちになるのです。

多くの人が経験したことのありそうな簡単な例でいうと、このような瞬間です。誰かが車の鍵を部屋の向こう側から投げて、あなたが何も考えずに、ましてやその時それが起きていることを認識すらせずに手を出して、鍵をキャッチしたとき。これはほとんど本能的な反応です。その後突然、あなたは驚いて、「ワオ、私はどうやってこれをキャッチしたの?キャッチしようと考えることすらしなかったのに、こんなことが起こるなんて」と思うのです。

ヘイゼル
どの時点で、フローのトレーニングをしようと思ったのですか?
キャメロン
まずフローのない生活に満足できませんでした。テニスをしていたときと比べて何か物足りないと感じていたのは、このような小さな魔法のような瞬間がないからだったのです。旅をすることでも、トロフィーをもらうことでもありません。そうして私は、フローの探求をすることに決めました。すると突然、生活の中の様々な瞬間で、フローが出現するようになりました。仕事をしているとき、書き物をしているとき、サーフィンなどの他のスポーツをしているときなどです。そのような経緯があって、私はフローをパフォーマンスコーチングにおける一種の哲学ないしは原則のように扱い始めました。フローを求めて集中していると、生活の中でより多くのフローを経験するだけでなく、多くの場合モチベーションが向上し不安が減少する、ということが分かってきました。
ヘイゼル
特にクライマーへのコーチングがどのような結果になったかを教えてください。
キャメロン
最近、ポーツマス大学で優秀なクライマー4人に実験を行いました。彼らに基礎レベルのフロートレーニングを施したのです。座学を行い、フロー体験を最優先と考えるための初歩的な心理学スキルについてレクチャーしました。その結果、フローのスコアは28%増加、主観的なパフォーマンススコアは34%増加、客観的なパフォーマンススコアは62%増加しました。そのクライマー達がフロー体験を最優先事項として活動しているとき、おしなべて、彼らはその活動をより楽しんでいるように見えました。
ヘイゼル
フローを最優先事項にすることが、あなたのコーチングの大原則となっているのですね。もっと詳しく教えてください。
キャメロン

フローの追求が全ての行動の中心になるという点で、フローコーチングは他のパフォーマンスコーチングやスポーツ心理学と一線を画します。フローが他の目標に取って代わって、最優先になるのです。クライミングの場合では、登り出す時のあなたの目標は完登することではなく、フローを追い求めることになります。

多くのアスリートは、結果に着目しがちです。しかし「よし、達成すべき目標ができた。失敗したくない。もしこれを達成できなかったら?」と考え出したとたん、目の前のルートが私たちを不安に陥れるのです。何かを克服しようとするときや、達成すべきプロジェクトがあるとき、最初に感じるのは恐怖です。身体が恐怖にのみ込まれてしまったとき何が起きるでしょうか?身体は弱っていき、ポジティブではなくネガティブな考えに陥ってしまいます。

確かにある程度の恐怖を感じた方が感覚は磨かれ、その瞬間に集中することもできますが、それが過ぎると恐怖は筋肉の隅々に浸透してしまい、リラックスすべきときにかえって緊張してしまったり、集中したいときに疑問がよぎってしまったりします。しかも、意識とエネルギーが完登へ向く度に、本来その場その瞬間に100%注ぐべきエネルギーと集中力が削られてしまいます。もし意識の3〜5割が終了点に行くことに向いていたら、残りの7〜5割のエネルギー、意識、身体だけで次のムーブや次のフットホールドに集中しなければならなくなってしまうのです。

ですから、もし高いパフォーマンスを出したいけど、結果に怯えたり言い訳したりしたくないなら、成果ではなくフローこそを目指すべきなのです。なぜ?それは、私たちが最高のパフォーマンスを発揮するときの状態だからです。繰り返しになりますが、成果や勝利やプライドに集中するよりも、タスクとプロセスに集中する方が、良いパフォーマンスを生み出すとの研究結果があるのです。そしてフローはそのプロセスの頂点にあるものです。

ヘイゼル
フローの考えを身につける以外に、フロー状態になるためには登る前に何をしたらよいでしょうか?
キャメロン

ウォームアップをするなど、自分をフロー状態に入れる状態に整えるのがよいでしょう。まず第一に、過去のフロー体験を思い出してください。以前よりも上手にムーブをこなせたことや、心が静かになって全てが簡単に感じ、思い通り正確に動けたこととか。その瞬間の記憶を呼び起こして座るのです。そのときの感覚とともに座り、感覚を映像化します。どんな風に見えたか、どんな感覚だったか、音は何か聞こえたかをイメージするのです。

そして自分の目の前に小さな葉書や、その記憶の象徴になるシンボルを思い浮かべます。登る時はそれらの葉書やシンボルや過去のフロー体験を意識の中心に持ってきて、記憶の一番先頭に戻してあげるのです。

ここでは、フロー状態をばらして分析しています。その時と同じ物事の連関や感情や神経学的反応を呼び戻しているのです。以前フロー状態になったときと同じ思考や空間を呼び起こすのです。これによって、私たちの心と身体が、次に登るときフロー状態になる準備が整うのです。

ヘイゼル
ありがとうございました、キャメロン!

The Flow Centreのウェブサイト(英文)には、より詳しい情報があります。関心のある方はどうぞご覧下さい。

私はおよそ1年間フロートレーニングを受けましたが、すっかりこれに魅了されました。その他のメンタルトレーニングの効果と相まって、私は以前よりも集中し、より楽しめているように感じています。腕や指をどれほど鍛えても、次のムーブに意識が向いていなければ、全てが水の泡です。真のフロー探究者になるためには、やるべきことが山積みです。終了点にたどり着くためのトレーニングを20年間してきたので、古い考え方を捨てるのはなかなか困難です。それに、終了点が迫って8aのオンサイトが近づいたとき、「フローの探求」などとは考えていません。でも、心配しないで、キャメロン。私はフローの探求をし続けるから。

-- ヘイゼル・フィンドレイ