THE MAKING OF:ブラックダイヤモンド・ホットワイヤーカラビナ

2018. 2. 22

ワイヤーゲートカラビナは、今日では当たり前のように使われている。しかし、1995年まではその可能性すら誰も考えていなかった。ブラックダイヤモンド(以下BD)の2人のデザイナーを除いては。これは世界初のクライミング用ワイヤーゲートカラビナがどのように生み出され、どのようにクライミング界に変革を起こしたかについての物語である。


ホットワイヤーカラビナの最初の試作品を持つアンドリュー・マクリーン
Images:
Andy Earl

「そこで見たモノで何を実現できるかなんて、ほとんどの人は考えつけないでしょう」

イギリス訛りの皮肉が混じったこの言葉に、誰も返事をしなかった。ここはソルトレークシティーのドラゴンダイナー。タンジェリンチキンを噛み下しながら筆者のテーブルの向かいに座っている56歳のクライマーは、船乗りが「シャックル」と呼ぶ道具を指でつまんでいる。その人差し指には汚いテーピングが巻かれている。

シャックルを回しながらじっと眺めた後、彼はジョン・レノン風のワイヤーフレームの眼鏡ごしにニヤリと笑みを浮かべた。

「『よし、やってみよう。』と思ったんです」

時は1993年に遡る。

その元気なイギリス人が30代半ばの頃、彼は既に世界で最もボールドなクライマーの1人として名を馳せていた。その人、ジョニー・ウッドワードは活躍の場をイギリスのグリットストーンから明るいアメリカの岩場に移し、次々とルートを手中にしていた。ヨセミテ渓谷からユタの砂漠に至るまで、ジョニーは多くの初登を達成し、ランナウトの激しいテストピースルートを登り、見事な経歴を築き上げていた。ザイオンにある10ピッチのクラシックマルチピッチルート「ムーンライトバットレス(5.12+)」も彼の置き土産だ。

しかし、BDの非正規「若手」デザイナーとして勤務していたこの日の午後、ジョニーはクライミングとは全く異なる核心に直面していた。

試作品のカラビナの硬いゲートを親指で押しながら(その試作品は船舶用シャックルにヒントを得た同僚から渡されたものだ)、ジョニーはクライミングギアの将来について考えていた。具体的に言えば、クライミング界で最初のワイヤーゲートカラビナを創り出すには、何が必要なのかを考えていたのだ。

BMWのトランスミッションのようになめらかに

その先見性のある同僚とは、アンドリュー・マクリーンその人であった。既に1993年時点で、彼はワサッチ山脈の最も急峻なクーロワールや、かろうじて滑れるかどうかの急斜面での大胆な滑降をして、山岳スキーの世界に波紋を起こしていた。巧みなクライミング技術とスキー技術を組み合わせ、彼が一滑りする度にアメリカ山岳スキーの世界に革新をもたらした。彼とアレックス・ロウは共に夜明け前に山に向かい、仕事に行く前にとんでもない滑降をやってのけていた。その行為は後に「ドーンパトロール」という言葉を生み出した。

その一方、BDのシニアデザイナーとして彼はさらに大きなインパクトを残した。アンドリューの功績の一つに『ウィペット』のデザインがある。それはアイスアックスとスキーポールを独自の発想で組み合わせた製品で、ハードコアな山岳スキーヤーにとって欠かせない製品になりつつあった。その彼のBDでの最初のプロジェクトこそ、BDの象徴、カラビナに関するものだった。

「私は、『クイックシルバー』をデザインし直しました。これは私の初期のプロジェクトのうちの一つです。その後、私は『フィン』をデザインしたのです」と、アンドリューは話す。

彼はジョニーの隣に座って、一緒に左宗棠鶏(さそうとうどり、北米の中華料理店で一般的に出される鶏料理:訳者註)を味わいながら、その初期のデザインプロジェクトについて回想していた。それはさながらクライミングギアの進歩に関する口述歴史のようだった。

「短命に終わった『フィン』のカラビナを覚えてる?」と、アンドリューはジョニーに聞いた。

ジョニーはワンタンスープをすすりながら頷いた。

「フィンは熱間鍛造のスポーツクライミング用カラビナだったんですが…やや大きすぎたのです」と、アンドリューは言った。

しかし『フィン』の欠点はアンドリューが軽量カラビナを開発する間接的なきっかけになった。彼はブレインストーミングをした。

「私は船員をしていたことがあったので、その時の経験から着眼点を得たのです」と、彼は回想する。

ジョニーが割って入った。

「アンドリューが言ったんです。『この船舶用カラビナを見てみてくれ。ゲートは1本のワイヤーだけで作られてる。シンプルで、ゲートオープンが広くて、ワンピースでできている。スプリングと一体だから、切削も穴開けも組立も不要なんだ。』と」

まず解決すべき問題は、シャックルのゲートが非常に硬いという点だった。そのゲートは、「業界で最もなめらかに」というBDの品質基準を満たすものではなかった。

「BDは伝統的に、ゲートがとてもなめらかに動くことを重視していたのです」と、アンドリュー。「BDのカラビナは、『BMWのトランスミッションのようになめらか』ということで知られていました。実際、精巧に作られていて、ものすごくスムーズに動きました。だから最初の目標は、その当時の最先端の基準に追いつくことでした」

アンドリューは店に足を運び、試作品を作り始めた。

試作品第一号

「試作品第一号は、帯のこぎりを使ってアルミのブロックから切り出して作りました」と、アンドリュー。

「紙に図面を印刷して、切った紙をアルミのブロック片に貼りつけて、切り出し、やすりをかけただけのものでした。そしてワイヤーをゲートの形に曲げて取り付けてみました」

それはうまくいったのだろうか?

「いや」と、彼は言った。

最初の試作品のゲートは開いたままになってしまったり、ちゃんと閉じなかったりした。そしてゲートを精確に曲げて取り付けることが重要だと分かった。そんな時だった。働くより登っている時間の方が長そうな、いたずら好きなイギリス人のデスクに向かってアンドリューが歩いていったのは。

ゲートキーパー

イギリス・マックルズフィールド出身、独学の自称「若手」デザイナー、ジョニー・ウッドワードに話を移そう。彼は今でも、人生の中で6年間しかフルタイムで働いたことがない(因みに全てBDでの勤務)と自慢する。私が話を聞きに行ったとき、彼は数週間の休暇を取ってシエラネバダで開拓をしている最中で、休憩しにドラゴンダイナーに入ってきたところだった(だから指にテーピングを巻いていたのだ)。

「私の専門は、大学1年生までは数学と科学でした。誰も真面目に勉強しろと鞭打つようなことはしなかったので…私はクライミングばかりしていました」と、ジョニーは皮肉っぽく言った。

しかしBDでは工作機械であれこれしたり、自身のクライミングギアを改造したりすることに楽しみを見つけ、のめり込んだ。その上給料までもらえたのだ。

「どのようにすればゲートが閉まるのか、穴のあるべき位置はどこか、ワイヤーはどれくらい曲げるべきか、使うべき材質は何か、等々を解析し、ゲートがなめらかに開閉するように微調整してほしい、とジョニーに仕事を任せました」と、アンドリューは言う。

ジョニー・ウッドワード。今でも開拓するラインを探し続けている。
Image:
Ben Ditto

ジョニーは、BDの品質基準を満たすなめらかな動きを実現するために試行錯誤した。目標はワイヤーゲートが軽い力で開き、しかもワイヤーゲートが開き始めてから開ききるまでスプリングの固さを一定にすることだった。そう、BMWのトランスミッションのように。

「突き詰めると、丁度いい固さにするにはワイヤー径が重要ということが分かりました」と、ジョニー。「そしてワイヤーを通す2つの穴の間隔を出来る限り近づけることも重要でした。そうすることでゲート開閉時のスプリング強度が抑えられるようになったのです」

ジョニーはこう説明する。ワイヤーゲートのヒンジは一つの軸を中心としないため、開くときに全体が変形する必要がある。つまり、ゲートの一方の「足」が縮み、もう一方の「足」は伸びる必要があるのだ。

「もっと細かく説明すると、開くときにゲートは僅かに横に動きます」と、ジョニーはつけ加える。「だからゲートの穴の間隔が狭くなるほど一軸の構造に近くなり、ゲートを指で押したときに変形しにくくなるのです」

ジョニーの改良アプローチは極めて科学的なものだったが、結局のところ指で開いたときの感覚が重要だった。もっと具体的に言えば、クライマーの好みの感覚だ。

「指で押したときの感触が心地良く感じられるまで、これをいじり回す必要がありました」

アンドリューがダイナーに持ってきた現在のホットワイヤーのゲートを親指で押しながら、ジョニーはそう強調した。

クリック、クリック、クリック。

その間、アンドリューはカラビナのボディを完成させていた。当時最新のコンピュータモデリングとCNC(コンピュータ数値制御)の技術を利用して、彼はこれまでにないような形のカラビナを開発した。

「ホットワイヤーは試作の過程でCNC技術を使った最初のギアの一つです」と、アンドリューは言う。つまり、コンピュータ制御された機械でカラビナのボディを切り出したのだ。

「CNCを使えば、ホットワイヤーのようにボディに線を描いたり、曲線の角度を非対称にすることができます。それまでのオーバルカラビナとは違って」

「ボディは美しかった。全く現代的なボディでした」と、ジョニー。

こうして、ジョニーが開発したスムーズに動くワイヤーゲートと組み合わさり、ホットワイヤーは製品テスト段階に進むことになった。

ペーパークリップカラビナ

ここで問題が起きた。アンドリューとジョニーが開発したホットワイヤーの試作品は、クライマー達が試用するのをためらうほど、それまでのカラビナと全く違う姿をしていたのだ。

「なかなか興味深い反応でした」とジョニーは回想する。「皆カラビナを見るや、ゲートの径が小さすぎるからといって、ホットワイヤーを『ペーパークリップカラビナ』と呼び始めたんですよ!この素晴らしいボディと機能的なゲートにもかかわらず。しかも、彼らに渡す前にカラビナを何度もテストしていて、安全性は明らかなのに」

しかし、ラス・クルーンというある一人の著名クライマー(彼はクライミング界の最前線で活躍していないときは、BDのギア担当でもあった)が、このカラビナをフィールドに持って行き、試用し始めた。驚くことに、そのカラビナで大フォールまでしてくれたのだ。

「私は、テストのためにフィールドに送りだされたモルモットのうちの一人でした」と、ラス・クルーンは話す。「私がしょっちゅうフォールするクライマーで、ジョニーはそうではなかったから、私を使ってフォール時の破断テストをした方がよいと彼らは踏んだのでしょう」

クルーンがこの近未来的な形のカラビナをクイックドローに付けて岩場に現れると、周りのクライマーはそれに注目した。

「最初のうち、多くのクライマー達はこのカラビナを見てびっくりしていました」と、クルーンは言う。「ホットワイヤーカラビナは、薄っぺらくて壊れやすそうに見えたのです。正直に言うと、最初にこれをキングストンの岩場(高難度ルートばかりのエリア)に持って行ったとき、ボルト数本分進んでルートの上部に行くまで、これを使いませんでした。もしかしたら何か問題が起きるかもしれないと思ったからです。しかし、特に何も問題は起こりませんでした。それどころかよく見てみると、軽さやゲートオープン間隔の広さなどなど、細かなところまで全て計算しつくされていたのです」

ラスが岩場で愛用してくれたことにより、「ペーパークリップカラビナ」はクライマー達の目をひきつけるようになったのである。

より軽く、より強く、より安全

「特にこれといった問題もないので、ホットワイヤーを怖がらなかった人々にとっては、その反応は当然だったのです。ホットワイヤーはより軽く、より強固で、しかもより安全なのです」と、ジョニーは言う。

ホットワイヤーは、既存のカラビナから重量を削ぎ落しただけでなく、より強固で、しかも…より安全だって?

「ワイヤーゲートの大きな特徴の一つは、ゲートの質量が小さいので、ウィップラッシュ現象が起きにくいという点です」と、ジョニーは説明する。「それ以前の古いカラビナを、このように机に打ち付けると…」

ジョニーがカラビナを使ってデモンストレーションをすると、ダイナーにいる人々が振り返ってこちらを見た。

ぴしゃり、ぴしゃり、ぴしゃり!

「ゲートが開いたり閉じたりするのが聞こえるでしょう」

これは、「ゲートフラッター」または「ゲートウィップラッシュ」として知られている現象だ。90年代に入ってスポーツクライミングが全盛を迎えると、クライマーは大フォールをするようになった。それも高い頻度で。そしてカラビナが正しくセットされていても、ごくたまにフォールによる荷重によってゲートが一瞬開いてしまうことがあった。ゲートが開いた状態のカラビナの強度はあまり高くないため、この衝撃でカラビナ本体が破断してしまうこともあったのだ。

「そして当時、壊れたカラビナがBDに送り返されてくるようになりました」と、ジョニーは言う。「それらを観察すると、ゲートオープン時に破断したことは明らかでした」

彼はこの現象についてさらに説明してくれた。

「この現象は、クライマーがフォールしたときに起こります。カラビナは一定の方向に振られ、突然止まります。しかしゲートはそれ自身の質量とモーメントのせいで動きを止められないのです。そしてゲートが開いた状態のカラビナ本体に衝撃荷重がかかったとき、もしもその状態のカラビナの強度が全然高くなければ、カラビナは破断してしまいます」

アンドリューによれば、BDのライトDシリーズと現在では廃番になっているクイックシルバーはかなり重く太いゲートが使われていた上にゲートオープン時の強度はかなり低かった(7kN)そうだ。

しかし、新しいホットワイヤーの試作品がウィップラッシュ現象を起こしにくい、ということを彼らはどのように証明し、周りに説明したのだろうか。

いつものように、アンドリューとジョニーにはいい考えがあった。

アンドリュー・マクリーン。全てが始まった場所で。

「街には、ハイスピードカメラで撮影ができるラボがありました。私たちはホットワイヤーとその当時発売されていた『ライトD』を比較用に持って行きました」と、ジョニー。「粗雑なつくりの装置でしたが、私たちはカラビナを18インチの棒に取り付け、その棒を回転させながら机の上に落とし、その机に落ちる瞬間をカメラで撮影しました」

「そのカメラは1秒に500回シャッターを切ることができたので、1回の落下あたり50枚を撮影することができました。つまり、1/10秒の時間を撮影したということです」と、アンドリュー。

写真が届いたとき、彼らの抱いていた考えは確信に変わった。

「それは驚くべき結果でした。1/10秒の間、『ライトD』のゲートはずっと開き、主軸側に当たっていたのです」と、ジョニー。

では、ホットワイヤーはどうだったのか?

「ワイヤーゲートの方は、撮影時間の半分の時間で開いて閉じました」と、彼は言う。「従ってその違いは歴然で、ホットワイヤーはウィップラッシュ現象による種々の問題とはほぼ無縁と言ってもよいでしょう」

OK。より安全だということは証明された。しかし耐久性についてはどうか?ラス・クルーンが言っていたように、ホットワイヤーはどうしても壊れやすそうに見えた。

ワイヤーゲートが反復使用に対してどれくらい耐久性があるかをテストするため、ジョニーとアンドリューは策を練った。

「この小さな機械を使うと、1秒に10回ゲートを開閉させることができます。しかしその前に、実際の岩場で、カラビナのゲートはどのくらいの頻度で開閉しているのかを知る必要がありました」

彼らの採った計算方法はこうだ。

最初、ギアスリングにカラビナをラッキングしていたとして、あなたがそのカラビナをギアスリングから外したら、1回の開閉。それをハーネスに付けたら2回。それをハーネスから外したら3回。カラビナをボルトにクリップしたら4回。ボルトから外したら5回。カラビナをハーネスに戻したら6回。ハーネスから外したら7回。そして最後に、ギアスリングにカラビナを戻したら8回。

「我々は、人が1ピッチ登る間に、カラビナのゲートは8回開閉すると考えました。なので私は、『安全のために多めに見積もって、10回開閉すると仮定しよう。』と言いました」と、ジョニー。「頻繁にクライミングをする人なら、週5日岩場に出かけます。週5日が50週続くと仮定すると、1年で250日。1日に10ピッチ登るとしたら、10回/1ピッチだとして2,500をかけて、1年で25,000回の開閉。25,000回に20をかけて、20年間で500,000回開閉するということになります」

彼らはホットワイヤーのゲートを、機械で500,000回開閉させてテストした。

「テストは合格でした」アンドリューは誇らしげに言った。

ホットワイヤーは確かな耐久性を持っていた。

クライミング界初のワイヤーゲートカラビナ発売

ホットワイヤー発売当初のブラックダイヤモンドの95年冬カタログ。そのことを『全く先鋭的な出発』と称した。

アンドリューとジョニーは全てのデータを手にした。彼らは実験室でのテストを全て完了し、ラス・クルーンのようなクライマー達が実際のフィールドで試用した。しかしながら、BD内にはそれでも抵抗する人々が存在した。

問題は、そのカラビナにBDの評判がかかっていた、ということだ。

「そのカラビナの見た目は、一部の人々にとっては先鋭的過ぎたのです」と、ジョニーは言う。

「しかも可能性が未知数のものを信じろと言われても、社内の一部の人々が躊躇するのは仕方ないことです」

BDの創設者であり社長でもあったピーター・メトカーフはとりわけ頑固だった、とアンドリューは振り返る。

「彼らが出した予想販売数は、本当に少なかった」と、ジョニー。「まあ、それは仕方のないことです。私たちは全く新しい

奇抜なコンセプトをクライミング市場に投入しようとしていたのだから。しかし発売開始からたった数か月で、この商品が大ヒットになりそうだということが明らかになりました」

発売されるやいなや、ホットワイヤーは野火のように広まっていった。

なぜ売れたのだろうか?

単純に、明けても暮れてもクライミングばかりしている本物のダートバッグクライマー達に、ホットワイヤーは支持されたのである。

「実際、クライマー達の後ろ盾があったから売れたのです」アンドリューは説明する。「エイドクライマー達は『ワオ、これでラックの重さが減るね』と言い、アルパインクライマー達はカラビナに雪が詰まらないと喜び、スポーツクライマー達はゲートの機能性と操作性を好んだのです」

ジョニーとアンドリューは興奮した。漠然としたアイディア段階からホットワイヤーとして製品が世に出るまでの約18か月、二人のクライマーは結束し、おそらくクライミングで最も重要な道具に革新を起こした。クライミング界初のワイヤーゲートカラビナを開発したのである。

「クライミング界に、少しだけですが革新を起こしたことを私たちは誇りに思いました」と、ジョニーは語る。

今でもワイヤーゲートカラビナをラッキングするとき、自分たちがクライミング界に与えた影響について考えるか、と尋ねたところこう答えた。

「クライミングギアが進化する過渡期にこういう機会を得たことは、確かに嬉しいです。あの頃はこんな単純なアイディアも形にでき、将来のクライミングギアの使われ方にまで大きな影響を与えられる、そんな時代でした」

今では同じようなことをするのはかなり難しいだろうと付け加える一方で、クライマーとしての視点こそホットワイヤーのような革新的製品を生み出す源だと言う。

「BDが最も大切にしていたのは、クライマーの視点を通じて一つのコンセプトをできる限り磨き上げることだったのです」

-- 文:BDコンテンツマネージャ- クリス・パーカー
(原文リンク)


コラム

保科雅則(ロストアロー・スタッフ)

カラビナがクライミングの用具として使われるようになったのは100年ほど前から、元々は消防士の装備からヒントを得たと昔読んだ本に書いてあった覚えがある。カラビナは今やクライマーにとって、ロープやハーネスと並び三種の神器と言えるものになったが、新しく開発されたクライミング用具の多くがそうであったように、カラビナも使われ始めたころは、その使用に関して異論を唱えるクライマーもいたそうである。

しかし今の時代、カラビナを使わずにクライミングするとしたら、フリーソロしか思い浮かばないくらい、クライミングの安全確保用具として欠かせないものとなっている。

カラビナに限らないが、クライミング用具ひとつひとつの生い立ちを紐解いてみるのは大変興味深いことである。用具開発の歴史や逸話、携わった技術者やクライマーが多く存在した事実を、この記事を読むことによってあらためて気付かされた。

1984年、ニューヨークからひとり日本にやってきたラス・クルーンと、偶然に常盤橋公園の石垣で出会ったのがきっかけで城ヶ崎で一緒に登ることになった。それが縁で翌年ニューヨーク州のシャワンガンクスに行ったことを思い出した。

ラス・クルーンを頼って憧れのガンクスまで、大岩夫妻、山下勝弘と4人でヨセミテを出発しグレイハウンドの長距離バスに揺られて3日半。アメリカ大陸を横断してガンクスで登ったことも懐かしい思い出だが、当時大学生だったラス・クルーンが後にホットワイヤーの開発に関係していたのを記事で知り、驚いてしまった。彼は約190センチの身長で体格も立派なので、きっと墜落テストには適任者だったのに違いない。

笹倉孝昭(山岳ガイド)

カラビナは登攀道具を掛ける役割から、それに加えて墜落を止める役割を備える道具へと発展してきた。その過程で、素材は鉄から超々ジュラルミンに変わり、ボディ形状の改良が行われ、塑性加工方法もホットフォージングが採用されるようになった。

私はコールドフォージングのクラシックなカラビナがまだ市場の中心だった時代 — 1980年代前半 — にクライミングを始めた。そのおかげで、クリップを容易にするためのベントゲートやノーズノッチを省いたキーロック・カラビナの誕生をリアルタイムでみることができた。

それらの改良の中でもワイヤーゲートの出現は衝撃的だった。

初めて目にしたときは「これがカラビナか?」と見た目のシンプルさに驚かされた。しかし、カラビナ破断の要因のひとつであるウィップラッシュ現象については、書物で読み、知っていたこともあって、ワイヤーゲートの利点もすぐに理解できた。

記事本文にもあるように、クライマーが墜落するときに、カラビナのロープバスケットの中でロープはビレイヤーからクライマー方向に素早く流れる。このとき、カラビナは横方向に振動して、ゲートはその影響を受けてフラッピング(パタパタと開く)する。これがウィップラッシュ現象だ。

ワイヤーゲートはゲート自体の質量が小さいので慣性の影響を受けにくい、そのためウイップラシュ現象も生じにくい。ゲートが軽いことで、結果的にカラビナの総重量も軽くできる。

ホットワイヤーは「軽量化とリスクの軽減」を高い次元で具現化した画期的な製品だ。現在では、従来型のロッド状ゲートのモデルにもワイヤーゲートの利点を取り入れた形状のものもでてきている。

カラビナの多様化は、季節や環境、ルートやプロテクションによってカラビナを使い分けることを現実的にした。優れたカラビナは他にも存在するが、ホットワイヤーの出現はカラビナ改良の可能性を示したものとして歴史的にも高く評価されると思う。