V15を登るには何が必要か—BDアンバサダー、カッディ・レーマンの物語

2020.4.22

BDアンバサダー、カッディ・レーマンによるV15のボルダー課題完登。その全ては古いマウンテンバイクのギアを直したことから始まった。彼女はKryptos—スイス、ジュラの岩場にある、美しい石灰岩に走った一本のすじ—にトライするために、合計すると数マイルに及ぶ坂道をマウンテンバイクで駆け上がった。でもこれは、完登までの長い心の旅路に比べれば、たいした苦労ではなかった。その道程でレーマンは、成功をもたらすのは肉体的な強さではなく、モチベーション、信念、幸せなのだ、ということに気づいた。これはそんな彼女の物語である。

Video and story:
Kaddi Lehmann
Photos:
Michael Steimle

「本当に心からやりたいことがあるなら、何も恐れず、ただそれをやるんだ。」

いつか、友人のダニエル・ユングがこんなセリフをとある映画で言っていました。

私は格言の類が好きなので、こういうダニエルのセリフのような言葉をすごく真面目に受け取ってしまうんです。クライミングに限らず、人生全般においても。

Kryptosは、一目見て心からチャレンジしたいと思ったボルダーでした。ただただ美しいラインなんです。

そして、2018年の5月半ば、Kryptosを完登することができました。

この岩を登れてとても幸せです。易しい道のりではなく、いままで登った中で最も難しいボルダーだと感じています。

鍵となったのは、モチベーション、信念、幸せ。私はこの過程からたくさんのことを学んだ。

私がKryptosに出会ったのは、2017年3月のことでした。ミヒャエル・シュタイムレと、私の弟クリスチャン・レーマン(BDヨーロッパのマーケティング専門家)とともにそのエリアを見に行ったんです。そのボルダーに私を案内してくれたとき、すでにあたりは真っ暗でした。その岩がどのくらい難しいかはあまり考えず、この美しいラインに少しだけトライしてみたいという気持ちになりました。でも、ほとんどのムーブができませんでした。保持できるパートは何か所かありましたが、できるムーブがありそうだということくらいしか分かりませんでした。1手目がものすごく遠く感じたのを覚えています。岩筋のホールドはスローピーで、それを持って離陸することもできなかったんです。

その夜以来このボルダーが頭から離れず、1週間後には再びトライをしに行った。

しかしその頃にはすでに夏の気候になっていました。早朝にトライするために、前の晩のうちに車を走らせましたが、午前10時ごろにはもう望みがないコンディションになっていました。暑すぎて、フリクションのない石灰岩のスローパーにぶら下るのは無理だったのです。暑さの中、私はボルダーを後にしました。

2017年の秋、私はまたKryptosにトライしましたが、この課題にトライできるだけの準備がまだ整っていないように感じました。どちらかというと、フォンテーヌブローの課題をやりたいと思っていました。

1つ有難かったのは、このボルダーがそこまで高くはなかったことです。2015年、私は腰のあたりの椎間板ヘルニアを患い、そのせいで長期間のレストを余儀なくされました。今でもいくつか避けているムーブがあるし、高い位置から飛び降りると痛みが走ります。

2017年の終わり、Kryptosを大目標にして、そのほかすべての課題を小目標と捉えよう—長い道のりのなかの小さな一歩のようなイメージで——と考えるようになりました。

そして、こうも思いました。今やらなければ、一生やらないだろう。

Kryptos以外のボルダーやそのほかのムーブにトライするときは、すべて強くなるチャンスであり、より大きな目標に向けての準備だと考えました。このポジティブな考え方は、自分に良い影響をもたらしました。

すべてはマウンテンバイクを直したことから始まった。

そのエリアへ行くには、私の住んでいるところから車で1.5時間ほどかかります。駐車場から長い登り坂のトレイルを歩くと美しい森にたどり着きます。クラッシュパッドを2つ背負っていると、結構骨が折れるハイキングになりますし、まあまあ時間もかかります。

そこで私は、車にマウンテンバイクを積んで、ボルダーエリアまでそれに乗って行ったら楽しいだろうと思いつきました。古いマウンテンバイクのギアやブレーキを直し、車に載せ、バルシュタールまで運転し、マウンテンバイクでボルダーまで駆け上がりました。短い時間でたどり着けるようになったし、帰り道の下りもとても楽しくなりました。それはある種のトライアスロンをやっているようでした。仕事が早めに終わって、かつ、まだ涼しい気温だったら、仕事から岩場まで直行するのです。マウンテンバイクで駆け上がり、トレイルの最後の急斜面は走って上がり、休憩。その後ホールドを磨いてウォームアップし、各ムーブをトライ。身体が疲れきるまでトライしたら、走って下り(時々、真っ暗ななか一人でいるのが少し怖かったです)、マウンテンバイクで下り、車に戻り家まで運転。…家に帰ると、身体はものすごく疲れてるけど、いい一日を過ごせたことが嬉しくて、笑顔になりながらベッドに倒れ込みました。

具体的なクライミングの話をすると、長い冬が終わった2018年の初め頃から、Kryptosに向けたトレーニングの小目標として、ジュラ州バーゼルにある、とあるボルダー課題に打ち込みました。それは当時未登の課題で、既登の2つのボルダー課題―「トート(=死)」8aと「エルンスト(=真剣な)」7b+―をリンクしようとするものでした。イースターのお休みにフォンテーヌブローへ行った後、私はやる気にあふれており、このプロジェクト「トートエルンスト」をなんとかつなげることができました。その後、ティチーノへ短いツアーに2回行き、ナーレとジュリアーノ・カメロニと一緒に登りました。彼らと登ったり初めての土地に行く経験を共有したことは、私にとって良い刺激になりました。

自分はかつてないほど強くなったと感じ、心の中で大きな闘志を燃やしていました。いまこそKryptosに戻って挑戦するべきだと思ったのです。そのとき、すでに2018年4月の初めでした。

ほとんどの日は、一人で岩に向かった。

自分の動きを分析し改善できそうな点を見つけるために、自分のトライを撮影し始めました。

2018年4月末ごろは、それが功を奏すかどうかまだ分からず、1手目のムーブを解決するにはかなり時間がかかりました。とても大きなムーブなのですが、支えになっている右足のフットホールドから足を離すことができなかったのです。私にとって最も難しかったのは、大きくてパワフルなムーブでかなりスローピーなホールドの完璧なポイントにガストンで入り、そこから次のムーブに移行する部分でした。そのとき足を乗せているフットホールドはとても小さく、かなりの身体張力を必要とします。

全体の中で、この部分のムーブができるのかどうか、そして、どうやるのかを解明するのに長い時間がかかりました。フランツ・ウィトマーやフレッド・ニコル、ケビン・ハイニンガーのムーブは、私にはできないものでした。私の身長は5フィート2インチ(=157cm)、腕のスパンは背の高さよりも短いのです。彼らは「サッダーム」と呼ばれるホールドを使っていたのですが、保持はできてもそこから手を進めることはできませんでした。

徐々に進展がありました。

調子が悪く、トライしてもうまく力が出せなかった日のことをよく覚えています。でもその日にブレークスルーが起きました。違うムーブを試したらそれがいいムーブだということを発見できたのです。

ちょっとしたことを変えたら、できなかったことが可能になりました。これですべてのムーブを解決できたのです。なんてことでしょう!

本当に完登できるかもしれないと思い始めたとき、次の問題は、自分の心の中でプレッシャーが大きくなり始めたことでした。もしかしたら間に合わないかもしれないと思いました。そのときすでに4月半ばだったので、トライするには暖かくなりすぎてしまうことも考えられました。

怪我をしたらどうしよう、コンディションが悪くなったことを理由にトライをあきらめなくてはならないかもしれない、こんなに調子の良い状態には二度とならないかもしれない、と怖くなったことも時々ありました。さらに言えば、5月に入ったらこのボルダーをトライする時間があまりなくなることも分かっていました。会社での通常業務に加え、いくつかのボルダリングコンペでのセットの予定も入っていましたし、インスブルックでのドイツチームのトレーニング合宿にサポート役として呼ばれていました。他にも、クライミングイベントの準備もあるし、ボルダリングのトレーニング指導もしなくてはいけないし、湿度が高くて雷雨が来る日が増えるし…。
自分にプレッシャーをかけないようにするのに苦労しました。自分が何にトライしているかはあまり多くの人には告げず、たいていは一人でボルダーに向かいました。

それは結構なメンタルゲームだった。

これ以上何かを期待することはできませんでしたが、多くを望まなければなりませんでした。

幸運なことに、私は大抵プレッシャーをワクワクする気持ちに変えられました。モチベーションをうまく活かして、ネガティブな思考を振り払い、課題を解決する方法を考え、そして毎回のクライミングをただ楽しみました。いつも楽しい一日になりました。マウンテンバイクで坂を下るのも上手くなっていきました。

気温と湿度がどんどん上がり始めました。しかも、このエリアは雨が降るとすぐには乾かないのです。

何度か、夜の遅い時間に車でエリアに行きました。バンの中で寝て、朝6時に起きてコーヒーと簡単な朝食を口に入れた後、バイクと徒歩で岩までの坂道を登り、ウォームアップをし、ムーブを確認し、ひたすら課題にトライ。帰りはバイクで坂道を下って車まで降り、そのまま職場へ出勤しました。

早起きしてハードなムーブをするのは辛かったです。私のことを少しでも知っている人なら分かっていることですが、私は本当は早起きが苦手なんです。

私の努力はすべて報われた。

上手くいかないときでも、自然の中にいる時間はすばらしいものでした。

おそらく、このエリアの天気予報を私ほど何回もチェックした人はいままでいなかったのではないでしょうか。

5月になると雨が多くなり、さらには熱波の予報も出ていました。雷雨が迫っていたのです…。

3連休だったある週末、マジックウッドに行く途中でKryptosに立ち寄り、早朝にトライをしました。

すべてを出し尽くすトライをしました。天気が悪くなる予報だったので、トライできるコンディションはもうじきなくなってしまうだろうと思ったからです。スタートからのトライで、何度か惜しいトライができました。中間部であまりレストをしなくても、大きなムーブの箇所をつなげられたのです。

その日はKryptosを登ることはできませんでした。でも、ハードなトライができて、完登に近づいた良い感触が得られたことを嬉しく思いました。

疲れ果てた私は、昼過ぎに車に戻り天気予報をチェックしました。その日から数日間、バルシュタールでは雨が降る予報でした。マジックウッドまで車で移動し、あとの時間は友人たちとただクラッシュパッドを運んで過ごしました。一晩ぐっすり寝た翌日は、プーラ・ヴィーダ(マジックウッドにある高難度課題(8a+/8b):訳者注)の岩を確認しに行ったりして楽しく過ごしました。

夕方からマジックウッドで雨が降り始め、翌朝まで一晩中降り続きました。そんな予報ではなかったのにもかかわらず。トビー・サックストンとマリッサ・ランドと私は、ムルクタールに行ってみることにしました。私はKryptosのあるエリアの天気を常にチェックし、もう一度チャンスが来るよう祈っていました。そのエリアでも雨が降りましたが、この日は夕方からのみ降る予報だったのです。

私たちはムルクタールへ車を走らせ、乾いた岩を見つけて楽しみました。易しめの良いラインを3本登れました。

昼過ぎ、Kryptosの岩を見に行かなくてはならないような気持ちに駆られました。

トビーとマリッサにさよならをして、急いで車に飛び乗り、車をやや飛ばして2時間ほどでKryptosの駐車場に着きました。坂道を駆け上がってKryptosに着くと、岩はびしょびしょに濡れていました。

強傾斜の最終局面にある最後のホールドの1つは完全に濡れていました。このとき、午後2時半。ここまで来たのだから、せめてトイレットペーパーでホールドを拭いて乾かしてみようと思い立ちました。1時間ほど乾かす作業をして、同時に、再びウォームアップをし始めました。

運がよかったのか、一人で行くときの習慣で、自分のトライを自己分析するためにカメラも設置しました。心を空にして課題のスタート位置に座り、登り始めました。難しい箇所を突破した後、アンダーピンチを保持し、もうこれから手を離してはいけないんだと言い聞かせました。

フットホールドを踏んでいる足が絶対に滑らないよう、足に重心を乗せる感覚を研ぎ澄ませました。トイレットペーパーが付いた濡れたホールドを、できる限り正確なポイントで保持すると、かろうじてトップアウトすることができました。完登したことがにわかには信じられませんでした。

私は夕方までKryptosの近くにいました。完登の1時間後、土砂降りになりました。岩の上から、このライムストーンに走った岩筋のホールドまで、水が流れていました。この雨は3日間降り続く予報でした。この出来事の後は、何日間かオフィスワークをして、その直後はインスブルックでまたオフィスワークをして、スイス選手権のボルダリング課題のセットをして、またオフィスに戻って…といった感じでした。

ここまでいろんなことをやってきて、それがたったの2分もかからないこの行為で突然終結してしまう…と思うと、ちょっと不思議な感じがします。

私はこのKryptosを登るまでの道のりを決して忘れないでしょう。

私はこの過程を楽しみ、この過程からたくさんのことを学びました。完登を可能にするために私のもとに集まってきてくれたすべての人や物や出来事に感謝しています。レーマン家の兄弟たちと両親、特に兄弟のうちの一人は私にクライミングを勧めてくれ、感謝します。私にとって、クライミングは単なるスポーツや身体活動以上のものになりました。スコット、クライミング一家のWGファミリー、クリスティ、エスター、フレッド、マリー、ナーレ、マーティン・ケルブレ、「クライミングをする幸せを共有」してくれてありがとう。椎間板ヘルニアから徐々に腰が回復し、再びクライミングできるようになったことにも感謝します。スイスのボルダーエリアで出会ったすばらしい方たち、運転中にクールな音楽を流してくれたジャン・ノヴァク、私が岩の上に置いてきたチョコレートをくれたマキシ、私が完登できると信じてくれたミヒャ、1手目のムーブを解決する手助けをしてくれたヨアヒム、楽しい時間とビールをくれたマーティン、一緒にウォーミングアップしてくれたトビーとマリッサ、すべての方に感謝します。そしてサポートしてくれたブラックダイヤモンド社に心から感謝しています。ありがとう!

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