HANG RIGHT PART 2:クライマーの肘の痛み

2017.1.6

これまで一度も肘を痛めたことがないクライマーを見つける方が難しい、と言えるくらい肘の痛みはありふれた症状だ。しつこい痛みをなだめるために、腕をさすりながらルートをロワーダウンしたことが何回もある、という方もいるのではないだろうか。BDアンバサダーのブリタニー・グリフィスがまさにそんな状態だった…彼女がエスター・スミス女史に出会うまでは。『HANG RIGHT』シリーズ第2回目では、理学療法士のエスター・スミス女史とケイティ―・ブルーメンソール女史が、肘の痛みの原因とその対処法について教えてくれる。


これまで何度も、クライマー達は肘の痛みへの対処に失敗してきました。私が思うに、これは肘周辺ばかりにケアを特化しすぎていることが原因です。BDアンバサダー、ブリタニー・グリフィスに初めて会ったとき、彼女の肘はまさにそんな状態でした。彼女の肘の痛みの解決に私が役立てるのではないか、ということで紹介されたのです。ブリタニーは放浪者を自称しており、エネルギーに満ち溢れています。時差ボケで眠れないときは、ヘッドランプを付けてガーデニングに勤しむそうです。スーダンやイエメンなどの遠い地に遠征し、2週間レストなしに冒険的なクライミングをすることで有名です。

Image:
Arnaud Petit

ブリタニーに初めて会ったとき、ジムのルートを1本登るだけでも痛みが出ていました。それを鎮めるために、効果はあまり無さそうでしたが、彼女は肘の外側を手で抑え付けていました。苦しい思いが彼女の表情から伝わってきました。彼女は首や肩にも慢性的な痛みを抱えていたのですが、今度は肘の痛みがクライミングを邪魔するようになっていました。水の入ったグラスを持ち上げるだけで、激しい痛みが出るような状態だったのです。

何人もの医者に相談した結果、手術するしか解決する手立てがない、と彼女は思い始めていました。手術のような方策を施したとしても、肘の痛みなどの慢性的な怪我のせいでプロクライマーとしての活動ができなくなり、さらには、その他の様々な趣味をも熱心に行うことができなくなるのでは、と彼女は恐れていました。

初めて顔を合わせてからすぐに、ブリタニーと私は問題の解決に取り掛かりました。何度か実際に会い、クライマーのために考えられた理学療法を施したことで、ブリタニーはまた元気な姿でクライミングできるようになりました。痛みから解放され、ジプシーの生活にも戻りました。

ブリタニーのような患者のケースは、クライミングのレベルに関係なく、よく起こります。体全体のバランスの悪さが肘の慢性的な痛みの原因になってしまうのです。ブリタニーのリハビリを通じて、慢性的な怪我を完治させることは難しいと実感しました。身体の最も基本的な動作が痛みの原因になっているときでさえも、なかなか難しい。身体の欠陥をそのままにすると、満足な状態でクライミングに復帰することが不可能になってしまう可能性もあります。しかし、クライミング中や日常生活での動き方を改善すれば、怪我を治していくことも可能なのです。

以下の内容は、前回の記事『HANG RIGHT PART1:クライマーのための肩のメンテナンス法』の続きとして書いたものです。今回の記事では、筋肉やその周辺の結合組織である筋膜のアンバランスが、どのように肘に過度な負荷をかけてしまうのかを分析していきます。また、いくつかのテクニックやコツと一緒に、どこでもできるリハビリエクササイズで症状に対処する方法をご紹介します。

解剖学の基礎 : 肘、前腕、筋膜

肘の痛み(特にクライマー特有のもの)を治癒させるには、肘の局所的な痛みだけに注目するのではなく、胸部や胴体、腕全体まで診なくてはなりません。筋膜組織でつながっている筋肉の集合体として身体を診るとき、このことは特に重要です。それでは、筋膜系を用いて、クライマーの肘によく見られる2種類の怪我、「テニス肘」と「ゴルフ肘」について考えてみましょう。

筋膜とは、筋肉を覆っているネットワーク状の組織です。筋膜は、それぞれの筋肉を覆うのと同時に、「筋膜系」を介して体全体の筋肉をつなぐ役割も担っています。筋肉が縮むと、その周りの筋膜も収縮します。逆も同様で、筋肉が伸びれば筋膜は伸張します。さらに、異なる筋肉同士が筋膜系でつながっているため、ある一つの筋肉が収縮すると、その上下にある他の筋肉の動きは制限されます。

まず初めに、このような筋肉と筋膜系の構造が、どのようにゴルフ肘(上腕骨内側上顆炎)を引き起こすのかを考えてみましょう。ゴルフ肘は、肘の内側に痛みが生じる障害で、主に手首と指の屈筋にも悪影響を及ぼします(写真1)。これらの筋肉は、肘の内側にある骨の隆起部分(写真1、赤印の箇所)に付着しています。この隆起部が、ゴルフ肘の痛みの発生源です。

手首・指の屈筋は、筋膜系を介してその他の多くの筋肉、例えば、上腕二頭筋・胸筋・広背筋などともつながっています(写真2)。このような胴により近い筋肉に損傷が起きると、クライマーの肘に過度の負担をかけてしまいます。肘には力が加わり、最終的には痛みが生じるのです。クライマーの筋肉の中で、これらの筋肉が最も凝っている傾向にあります。

写真1
写真2

さらに言うと、これらの筋肉(上腕二頭筋・胸筋・広背筋)がこわばった状態になってしまうのは、クライミング中や日常生活での悪い姿勢、良くない肩の使い方のせいであることが多いのです。写真3は、“典型的な”クライマーの姿勢を示したものです。これを見ると、悪い姿勢が安静時の上腕二頭筋・胸筋・広背筋に影響を及ぼしているだろうことが分かると思います。

写真3
写真4

それでは今度は、反対側、すなわち肘の外側に生じる痛みについて考えてみましょう。手首と指の伸筋は、肘の外側に付着しているのですが、この部分から生じる痛みのことをテニス肘(上腕骨外側上顆炎)と言います(写真4)。

写真5

テニス肘が発生する仕組みは、ゴルフ肘のそれと似ています。手首・指の甲側にある伸筋は、また別の筋膜系を介して、上腕三頭筋や、僧帽筋、そして背中側の回旋筋腱板へとつながっています(写真5)。クライマーの多くは、この筋膜系でつながった筋肉が、全身で最も“弱い”筋肉群になっています。

結論を述べると、ゴルフ肘とテニス肘の多くは、筋肉と筋膜系の不均衡によって生じたものです。こわばっている組織をケアし、弱っている筋肉を強くすることによって、筋膜系を最適な状態に戻し、 “誤使用による” 慢性的な怪我を克服することができます。

では、何をすればいいのか?上腕部、局所、前腕部それぞれのケア方法

上腕部のケア

胸部や胴部、腕の筋膜系が弱りこわばっているせいで、肘が絶えず痛むケースはよくあります。肩と体幹部が弱くなると、どのようにクライマーの肘に影響するのか、考察してみましょう。肩甲帯と体幹は、肘を動かすための“土台”となっています。この土台が弱いと、私たちは肘の動きをコントロールできず、肘に過度の負担がかかってしまいます。肘は、手と土台(体幹と肩)の間の弱点になりがちです。土台の弱さを補うために、肘につながっている筋肉群は、腕を安定させようと頑張りすぎてしまいます。そして、過労状態になり、筋肉は張り詰めた状態になります。すると、筋肉の中に徐々に小さな裂傷ができ、炎症が起き、やがてテニス肘やゴルフ肘と呼ばれる痛みに変わるのです。

肩甲帯や体幹に筋力の弱い部分がある場合は、この “弱い土台” を鍛えるエクササイズが有効でしょう。正しいフォームでぶら下がることに加えて、手の甲側の筋膜ラインを鍛え、掌側の筋膜ラインを伸ばす、これが基本方針です。この基本方針に則った、4つの主要なエクササイズを以下にご紹介します。

腕の筋膜系をほぐし、肩甲帯と体幹の筋力をアップするための、4つのエクササイズ
1. フォームローラー上でのフロア・エンジェル:
このストレッチの狙いは、胸筋を伸ばすことです。クライマーは、動き方や姿勢のせいで、胸筋がかたくなってしまっています。
フロア・エンジェル
2. ブロックを使った、肩背側のストレッチ:
このストレッチの狙いは、広背筋と上腕三頭筋の筋肉を伸ばすことです。クライマーは、動き方や姿勢のせいで、これらの筋肉がかたくなってしまっています。
肩背側のストレッチ
3. プローンI・Y・T:
これらのエクササイズの狙いは、肩を安定させる筋肉(背側の回旋筋腱板と僧帽筋)を強化することです。
プローンI・Y・T
4. 足をついて行うセラタス・プッシュアップ(腕立て伏せ):
このエクササイズの狙いは、肩を安定させる筋肉(前鋸筋)を強化することです。
足をついて行うセラタス・プッシュアップ(腕立て伏せ)

以下リンクは、ブリタニー・グリフィスが上記4種類のエクササイズを行っている動画です。:Strength & Flexibility for Climbers

上記のエクササイズを十分に行ったら、次はそれを応用して、正しいフォームでぶら下がってみましょう:

肘の『HANGING RIGHT』解剖学
(1)手首は真っ直ぐに。ぶれないように。(ホールディングの種類によって、手首のポジションは多少変化しても構いません。) (2)肘の折り目側が耳の方を向くよう回転させる。肘と肩の関節は負担がかからないニュートラルな位置に。肘はほぼ真っ直ぐにして、ロックしないように。 (3)肩関節を強く保ち、肩甲骨を広げて、胸部と同じ高さまで下げる。首と頭は引っ張られるようなイメージ。体幹の力は抜かないように。

肘局所のケア

肘の腱損傷の初期段階(損傷から6週間未満)では、炎症を抑えることに重点を置いたケア(アイシングとアクティビティ・モディフィケーション)が必要となります。6~8週間以上経過している場合は、もはや炎症の段階ではなく(つまり、アイシングや安静は有効な解決策にはならない!)、腱が徐々に変性してしまっている状態です。後者の場合、腱は損傷して弱り、痛みを生じ、動きの負荷に耐えられなくなってしまいます。

訳者註:アクティビティ・モディフィケーションとは、患部が痛まない程度に活動しながら治す方法のこと

受傷から6週間以上経過した腱の治癒と再構築を促すためには、「リモデリング(=再建)」と呼ばれる方法を使って、積極的に治癒を促進することが重要です。

皆さん、ハンマードリルとリバース・リストカールについてはご存じでしょうか。このトレーニングを繰り返し行うと、極めて小さな負荷と炎症が、局所に少しずつ生じます。すると、損傷した組織をいったん取り壊し再構築せよ、と身体へサインが送られます。そうして、新しい腱が出来上がるのです。このプロセスには6~8週間程度かかりますが、これが終われば損傷のない腱を取り戻し、痛みを伴わずに腱を動かせるようになります。

テニス肘のリモデリング・エクササイズ
1. タイラーツイスト:
このエクササイズは、肘の外側に付いている伸筋に負荷をかけるためのものです。
タイラーツイスト
2. ハンマードリル:
このエクササイズでは、肘の外側に付いている回外筋に負荷をかけます。
ハンマードリル
ゴルフ肘のリモデリング・エクササイズ
  1. 1. 逆タイラーツイスト:
    このエクササイズでは、肘の内側についている屈筋に負荷をかけます。
    逆タイラーツイスト
  2. 2. 逆ハンマードリル:
    このエクササイズは、肘の内側に付いている円回内筋に負荷を与えるものです。
    逆ハンマードリル

ゴルフ肘・テニス肘のセルフケア用の道具やセルフケアの動画は、こちらをご覧下さい:Grassroots Self Treatment

リモデリング・エクササイズの推奨反復回数:
自分自身で症状を見ながら、各エクササイズを何回繰り返すべきか考えましょう。
  1. 何回か繰り返してみて、どこまでやればいつもの痛みが出て違和感があるのか、許容できる範囲を探りましょう(例えば、5回繰り返すといつもの症状が再発する、など)。このエクササイズを繰り返した後、一度出た痛みが後まで続かないことも確認してください。
  2. 1日に、決めた反復回数で3~5セット行ってください。これを、いつもの痛みが出なくなるまで毎日続けてください。
  3. 6~8週間かけて、少しずつ(2〜5ポンド(約900g~2.3kg)ずつ)負荷を上げていってください。このときも、エクササイズ後に痛みが出ても、それが持続しないことを確かめながら行ってください。
  4. エクササイズ中やその後に何も症状が出ないようになったら、痛みのせいでできなかったクライミングやその他の運動を徐々に再開しても大丈夫でしょう。通常の運動やクライミングをしても何も症状が出ないようになったら、このリモデリング・エクササイズは止めてもOKです。ですが、毎週のメンテナンスプログラムにこのエクササイズを取り入れたり、クライミング前のウォームアップとしてこのエクササイズを行ったりしてもいいでしょう。

前腕部のケア

手首と指の動き方を深く知ることもまた、肘の痛みを解決することに大いに役立ちます。私たちの手は、自分の身の回りのものと相互に関わり合っているからです(岩を握るときも、水の入ったコップを持つときも)。手首で交差し、指に沿って張り巡らされている筋肉・筋膜の強度と長さのバランスと、手首の安定性は、上述した上腕部のそれと同じくらい重要です。『HANG RIGHT』シリーズ第3回では、この前腕部に焦点を当てて分析をする予定です。

結び:5年後のブリタニー

この上腕・局所・前腕部のケアをブリタニーの腕に施したところ、2~3か月で腕・肩・首の慢性的な痛みを取り去ることができました。普通のクライマーと同様に、ブリタニーはちょっとどこかを捻ったり突発的な怪我をしたりはしていますが、定期的に診察をすることで、張っている箇所と弱っている箇所のバランスをうまく維持することができています。そのおかげで、彼女はプロクライマー兼ジプシーとしての活動を、怪我や痛みに邪魔されることなく続けられています。

上腕・前腕内の筋組織のバランスが取れて安定した状態で、クライミングやトレーニング、その他の活動を行っていれば、肘には適切な負荷しかかかりません。腕の筋組織のバランスを最適な状態にするためには、日々の努力が必要でしょう。でもそうすることによって、たまたま腕の中心にきてしまったかわいそうな肘を、大切に守ることができるのです。


つい最近、TrainingBetaのポッドキャストにエスタ―女史が出演し、肘について色々話しました。こちらから、聞くことができます(英語のみ):


エスター・スミス(DPT、Cert. MDT、NTP)は理学療法士。クライマーであり、ユタ州ソルトレークシティーにあるGrassroots Physical Therapy(グラスルーツ・フィジカル・セラピー)の経営者でもある。彼女はBDプロクライミングチームやその他のクライミングアンバサダーたちの専属理学療法士である。他にも、selftreatment.com(セルフトリートメント・ドットコム)という通販サイトを運営している。ここでは、テニス肘・ゴルフ肘や、首痛、腰痛といったよくある障害へのケア方法を、インストラクションビデオを使って解説している。

ケイティー・ブルーメンソール(DPT、MA)は理学療法士であり、熱心なライターでもあり、ウェルネス・アドボケイトでもある。ユタ州ソルトレークシティーのGrassroots Physical Therapy(グラスルーツ・フィジカル・セラピー)に勤務している。

(原文リンク)