ヒストリー
HISTORY
1978〜1979
ロストアロー前史:シュイナード氏との出会い
1978年、代表の坂下直枝が雑誌『岩と雪』編集長・池田常道氏の依頼でイヴォン・シュイナード著『Climbing Ice』の翻訳を担当。1979年には来日したシュイナード氏(パタゴニア創業者)と対面し、「アメリカに来たら一緒に登ろう」と誘われます。この時の出会いが坂下のその後を決定付けることとなりました。
1981
ロストアロー前史:居候生活とシュイナード社でのアルバイト
2年前のシュイナード氏の誘いを忘れていなかった坂下は渡米。氏の家に居候しながらグランド・ティトンなどで共にクライミングした後、「シュイナード・イクイップメント」で働きます。はじめは工場の下働きで時給はカリフォルニア州の最低賃金(当時)の2ドル40セント。2週目には出荷担当に昇格。それまで不在だったシュイナード氏から依頼されたカタログの翻訳をした3週目には時給10ドルになっていました。
1982
ロストアロー前史:K2登頂
日本山岳協会合同登山隊の一員としてK2北稜初登攀に成功。使用していたシュイナード社製アイスアックスが縁となり、再渡米を経て再会したシュイナード氏から「シュイナード・イクイップメントの日本代理店をやらないか」と正式に打診を受けます。遠征計画があった坂下は、ありがたく思いながらも一度は断りましたが、帰国日には氏から再度打診。その熱い思いに応えなければと坂下は一念発起します。
1983
ロストアロー前史:シュイナード・ジャパン創業
東京・早稲田のアパートの1室を事務所兼倉庫として「シュイナード・ジャパン」を創業。借金をして導入した高価なテレックスによる海外直接取引と登山用品店への自転車配達というユニークな体制をとります。海外との直接取引は現在は一般的かもしれませんが、問屋が主体だった当時の業界構造からすると革新的なスタイルでした。また、スタッフとしては坂下が所属していた山岳会「山学同志会」の若手が所属。山が好きな者が、同じ山仲間を想う企業スタイルはここから息づいています。
1983-1984
ロストアロー前史:ボリエールとの出会い
1983年夏、坂下の人脈を通じてスペインのクライミングシューズブランドのボリエールと出会います。ボリエールのクライミングシューズ「フィーレ」はソールの優れたフリクション性能によってヨセミテクライマーから絶大な支持を受けていました。その性能に魅せられた坂下は、友人たちの推薦も功を奏して日本での代理店権を獲得します。
1984
社名の変更、そして「ロストアロー」誕生
取り扱いブランドがシュイナード社以外にも増えてきた1984年9月、シュイナード・ジャパンはロストアローと社名を変えて産声を上げました。社名はヨセミテの「ロストアロー・スパイア」などに因んでいますが、その経営理念の根底には欲しい道具を買えなかった坂下自身の「貧しかった学生時代」の記憶があります。「山道具は命に関わるもの。だからこそ、情熱ある若者が信頼できる道具を、手が届く価格で手に入れられる環境を作りたい」という強い使命感があるのです。この「登山者の伴走者でありたい」という願いは、創業から現在までブレることなく続いています。
1988
オスプレー創業者との個人的結び付き
1988年の北米展示会で坂下はオスプレー創業者のマイク・プフォテンハウアーと出会いました。美術大学を出たマイクが産み出す製品の卓越したデザイン性に惹かれたのがきっかけでしたが、その場で経営について相談を受けることに。その後1991年から代理店となり、マイク氏引退までの30年以上にわたり折に触れて話し合う家族ぐるみの深い関係に発展しました。
1989
ブラックダイヤモンド誕生への支援
シュイナード・イクイップメントが訴訟問題により倒産危機に陥ります。そこで従業員有志は新会社「ブラックダイヤモンド」の設立を決意しました。創業メンバーのピーター・メットカーフ氏から出資の要請を受けた坂下は自らの会社の存亡をかけて銀行から融資を取り付け、26万ドルの資金を用意。これがブラックダイヤモンドの誕生を支えることになりました。その後ブラックダイヤモンドは世界を代表するクライミングブランドへと成長し、現在もロストアローと強い絆で結び付いています。
1990年代
取り扱いブランドの拡大と移転
90年代以降はオスプレーやスカルパなど、現在も販売の中心的一角を担う優れたアウトドアブランドとの取引が拡がっていきます。それに伴い1992年には社屋を移転。東京・目白からクライミングエリアへのアクセスがよい埼玉県飯能市へと移りました。さらにその3年後には埼玉県鶴ヶ島市(現在の物流倉庫所在地)のより広い倉庫へと拠点を移します。
2000年代
再編の荒波を越え、主力ブランドが揃う
1970〜1980年代頃に創業した多くのブランドの成熟にともない、ブランド規模が拡大してきたのがこの時期。ブランドの売却・買収が活発になり、ロストアローでも新たに迎えるスマートウールのようなブランド(2000年)もあれば、去っていくブランドもある一筋縄にはいかない時期でした。他方では現在に続く主要なブランドが揃い、強固な体制が築かれた時期であったとも言えます。
2010年代〜現在
新拠点「The Tribe」始動と、揺るぎない価値基準
2020年の東京・大塚の東京事業所の設立を経て2023年にはクライミングイベント/ギャラリースペース「The Tribe」を東京・神田小川町にオープン。カルチャーやシーンに寄与するための拠点を設けることができました。いっぽうで2010年以降もフリッチ(2014年)、シートゥサミット(2017年)、ピープス(2018年)と重要なブランドが加わりました。それでもシュイナード・ジャパン時代から共通しているのは、これらの関係が単なる商業的取引にとどまることなく、人と人同士の価値観の共有や信頼に基づいた関係であるところです。この考え方はその後もロストアローにとってブランド選定の価値基準となり続けています。